刑事事件で無罪判決が下される理由のひとつに、「刑法第39条」の存在があります。
刑法第39条では、犯行をおこなった人物が物事の良し悪しを判断できる状態かつ良し悪しの認識に従って行動する能力がない状態でなければ、犯罪が成立しないか、刑が減軽されるといった規定がされています。
本記事では、刑法第39条における責任能力の考え方や適用の基準、刑法第39条が問題となる代表的なケースなどを解説します。
刑法39条を理解する前に知っておくべき「責任能力」の考え方
責任能力とは、自己の行為の是非および社会的意味を認識・理解する能力(事理弁識能力)と、その認識に基づいて自己の行動を制御する能力(行動抑制能力)の双方を意味します。
これは、わかりやすく言い換えれば「善悪の判断や自分の行動を制御する能力のこと」です。
そして、刑法において犯罪行為をおこなったときに責任能力がなかったまたは限定的であったと判断された場合は、犯罪が成立しないか刑が減刑されることになります。
刑法39条とは?
犯行当時に責任能力が欠けていた場合の取り扱いを定める規定が、刑法第39条です。
具体的には、以下のように規定されています。
(心神喪失及び心神耗弱)
第三十九条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
引用元:刑法|e-GOV法令検索
本条文によると、行為者が「心神喪失」または「心神耗弱」に該当していれば、犯罪が成立しないか、刑が減軽される可能性があります。
以下では、刑法39条の規定内容について詳しく見ていきましょう。
心神喪失者の行為は罰しない|責任能力をまったく欠いている場合に適用
刑法第39条第1項では、行為時に心神喪失の状態にあった者は、刑事責任を問われないと定められています。
つまり、行為者が責任能力を欠く状態にあった場合には、刑事処罰の対象とはならないのです。
また、判例・通説によると「心神喪失」とは、「精神の障害により、行為の是非善悪を弁識する能力またはその弁識に従って行動する能力がない状態とされています。
たとえば、精神的な疾患や障害によって、自分の行為の意味や結果を理解できない場合が該当します。
心神耗弱者の行為は刑を減軽する|責任能力を著しく制約されている場合に適用
行為者が責任能力を一部欠いている「心神耗弱(こうじゃく)」の状態にあった場合は、刑法第39条第2項が適用され、刑罰が減軽されることになります。
これは、完全に責任能力を失っているわけではないものの、その判断力や行動のコントロールに重大な支障があると評価される場合です。
判例・通説によれば、「心神耗弱」とは、精神の障害により、行為の是非善悪を弁識する能力またはその弁識に従って行動する能力が著しく減退した状態とされています。
心神喪失や心身耗弱が原因となり不起訴処分・無罪となるケースは多くない
刑法第39条によって規定がされているものの、心神喪失や心神耗弱を理由として責任能力が否定される事案は少ないのが現状です。
令和6年版の犯罪白書によると、2023年に全国の捜査機関が検挙した人員は18万3,269人でした。
このうち、精神障害を有する、またはその疑いがあるとされたのは1,286人で、全体の約0.7%にとどまっています。
また、不起訴処分となった人員15万5,305人のうち、心神喪失を理由とする不起訴は353件であり、全体の約0.2%にすぎません。
また、心神喪失を理由に無罪となったのはわずか4人です。
このように、精神的な障害を理由に刑事責任を問われないケースや、罪に問われても無罪となるケースは非常にまれといえます。
刑法39条の適用対象になり得るケース
ここでは、刑法第39条の適用対象となる代表的なケースを紹介します。
精神障害を有していた場合
刑法39条が適用されるケースとして、医学的に認定される精神障害を有していた場合が挙げられます。
具体的には、以下のような精神障害を有している場合、刑法39条の適用対象となる可能性があるでしょう。
- 統合失調症
- うつ病
- 知的障害
- 発達障害
- 認知症
酩酊・薬物乱用状態にあった場合
刑法39条の適用対象となり得るケースとして、飲酒によって酩酊状態に陥った場合や、覚醒剤などの違法薬物を摂取した場合なども挙げられます。
ただし、犯罪を実現する意思で酩酊状態を作り出したり、薬物を摂取したりした場合には、結果として心神喪失・心神耗弱状態が生じていても責任能力があったとみなされ、刑法39条の適用は否定される場合もあります。
そのため、酩酊・薬物乱用状態にあった場合は、精神障害の場合と比べて刑法39条の適用が認められにくいのが実情です。
責任能力の有無は鑑定結果を踏まえて裁判官が決定する
責任能力の有無は、最終的には裁判官が判断します。
ただし、裁判官は医学の専門家ではないため、判断にあたっては精神鑑定の結果が参考にされるのが通常です。
精神鑑定では、被疑者に精神障害があるか、精神障害が犯行にどのような影響を与えたか、犯行をコントロールする能力がどの程度あったかといった点が調査されます。
また、精神鑑定には主に以下の4種類があり、実施される時期や方法によってそれぞれ区別されます。
| 種類 | 内容 |
| 簡易鑑定 | 比較的簡易な形式の精神鑑定。 被疑者の勾留中に医師が1,2時間程度の面接を実施し、捜査で収集された資料も参考にして鑑定書を作成する。 |
| 起訴前鑑定 | 被疑者を専門の医療機関に一定期間留置しておこなう本格的な精神鑑定。 精神科医が綿密な問診、脳の検査、心理テストなどを丁寧に実施するので、より正確な鑑定が可能といわれている。 |
| 公判(職権)鑑定 | 裁判所が職権行う精神鑑定。 弁護人による鑑定請求により行うことが多い。 豊富な鑑定資料をもとに、整った環境のもとでおこなわれるため信頼性が高いが、被告人に不利な鑑定結果が出ても裁判で使用しなければならない。 |
| 私的鑑定 | 弁護人が精神科医に依頼しておこなう精神鑑定。 公判鑑定と異なり、鑑定結果を裁判で使用するかは弁護側が自由に決定できる。 |
刑法39条の適用が争われた判例
ここでは、刑法第39条の適用が争われた判例を3つ紹介します。
【無罪】統合失調症の影響下で家族・近隣住民5人を殺傷
2017年7月に神戸市北区で祖父母や近隣住民ら5人を殺傷した罪に問われた無職の男性被告人(当時30歳)について、2021年11月4日、神戸地裁は「被告人は統合失調症の圧倒的な影響下で心神喪失状態だった疑いがある」として、無罪判決を言い渡しました。
検察は無期懲役を求刑していましたが、裁判所は被告人と11度にわたり面接を実施した1回目の精神鑑定結果を重視し、犯行時に正常な判断能力がなかったと判断しました。
一方で、被告人と1度しか面会していない2回目の精神鑑定の信用性は認められないと判断しています。
【参考元】神戸5人殺傷、被告に無罪判決 地裁「心神喪失状態」 – 日本経済新聞
【刑の軽減】抑うつ障害の影響下で家族二人を殺傷
2023年3月に新潟県三条市で息子を殺害したうえに妻も殺害しようとしたとして殺人と殺人未遂の罪に問われた被告人について、2024年5月20日、新潟地裁は懲役3年6ヵ月の実刑判決を言い渡しました。
本事案では、検察側は懲役14年を求刑する一方で、弁護側は無罪を主張しており、責任能力の有無が争点となっていました。
裁判所は、葬儀費用を準備して、犯行日も周囲に配慮して決めていたことから、被告人には行動を制御する能力があったと判断しました。
一方で、抑うつ症状の影響で、心中以外の選択肢を考えられない状態だったとして心神耗弱を認定しています。
ただし、執行猶予は不相当と判断され、実刑判決となりました。
【参考元】新潟三条市の妻子殺傷事件、被告の男に懲役3年6月判決、心神耗弱と認定 新潟地裁・裁判員裁判 | 新潟日報デジタルプラス
【有罪】アニメーションスタジオへの放火で36人を殺害
2019年7月に京都アニメーションを放火して36人を死亡させたとして殺人の罪で問われていた被告人について、2024年1月、第1審の京都地裁は死刑判決を言い渡しました。
裁判所は、被告人の妄想性障害が犯行動機に影響したと認定されましたが、放火という行動自体への影響は小さく、善悪を判断できる完全責任能力があったと判断しています。
弁護側は、起訴後の精神鑑定結果そのものには異議を唱えませんでした。
しかし、別の医師の意見書をもとにすると、被告人が心神喪失または心神耗弱だったといえるので、地裁の評価に誤りがあったと主張しています。
当初は被告人本人が控訴を取り下げたものの、現在は、弁護団が控訴取り下げの無効を主張している段階です。
【参考元】“京アニ”放火殺人事件 青葉被告が控訴取り下げ 死刑確定 | NHKニュース
刑法39条により無罪・執行猶予になった人はどうなる?
刑法第39条により不起訴処分または無罪が確定した場合、再犯防止や社会復帰の観点から医療的措置が取られることがあります。
具体的な手続きの流れは、以下のとおりです。
| 流れ | 内容 |
| 1.検察官による申し立て | 不起訴・無罪が確定すると、検察官が地方裁判所に対し、対象者の処遇について申し立てを行います。 主な目的は、対象者を入院させて治療を実施すべきかどうかを判断するためです。 |
| 2.鑑定入院命令 | 裁判所は、医療的措置が明らかに不要と判断できない限り、対象者に対し鑑定目的の入院を命じます。 この鑑定入院の期間は最長3ヵ月と定められています。 |
| 3.鑑定と意見書の作成 | 入院中に、医師が対象者の精神状態を詳細に鑑定します。 鑑定結果に基づき、「治療の継続が必要かどうか」についての意見書が作成されます。 |
| 4.審判での判断 | 裁判所は、裁判官と精神保健審判員(精神科医)から成る合議体で審判を行い、医療措置の必要性を検討します。 必要性が認められた場合は、以下のいずれかの措置が命じられます。 |
| 5.医療措置の決定と実施 | ・入院措置が命じられた場合 厚生労働大臣が指定した専門医療機関に入院し、治療を受けます。 ・通院措置または退院後の通院が命じられた場合 保護観察所の社会復帰調整官が作成する医療計画に基づき、原則3年間、指定された医療機関に通院します。 通院期間中は、保護観察所が中心となり、関係機関と連携して治療・生活支援がおこなわれます。 |
さいごに|刑事責任を争う際は弁護士のサポートが必要不可欠
本記事では、刑法39条について、規定内容や適用対象となるケース、具体的な事例について詳しく解説しました。
たとえ犯罪を犯してしまったとしても、精神疾患にかかっていたなどの事情があれば、刑法第39条の適用により犯罪が成立しないか刑が減軽される可能性があります。
ただし、刑法第39条が適用されるケースは少ないのが実情です。
そのため、刑法第39条の適用の有無を争う場合には、刑事事件を得意とする弁護士のサポートが欠かせません。
弁護士は、依頼者のためにさまざまな弁護活動をおこなってくれます。
たとえば、逮捕後の取り調べでは、精神疾患などの影響により、警察の誘導に流されて事実と異なる供述をしてしまうことがあります。
弁護士はそのような事態を防ぐため、録音や録画を要請し、取り調べの内容を記録に残すよう働きかけます。
また、責任能力を争う場合、精神鑑定の実施を求めたり、本人の普段の様子を録音・録画して証拠として提出したり、主治医の意見書や診療記録を集めたりするといった対応が必要です。
弁護士はこれらの手続きを的確に進め、依頼者の状況を正確に立証してくれます。
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